高橋一生の生い立ちが壮絶すぎた!?母との確執や妻との結婚の決め手も

俳優の高橋一生は、生い立ちが原因で独身を貫くのではないかと思われていましたが、2024年5月に飯豊まりえとの結婚を発表しました。テレビやインタビューで幸せとは言えない子供時代を過ごしたと明かしていますが、どんなことがあったのでしょうか。

今回は、高橋一生の生い立ちや、妻との結婚の決め手について掘り下げていきます。

高橋一生のプロフィール

高橋一生のプロフィールは以下のとおりです。

生年月日1980年12月9日(44歳)
出身地東京都港区赤坂
身長175㎝
血液型O型

赤坂御用地の近所に住んでいたため、宮仕えをしている親をもつ友達が多かったといいます。演技を始めたのは、祖母の勧めで始めた児童劇団がきっかけでした。ふさぎがちな子供でしたが、発表会で泣いて喜ぶ祖母を見て俳優を目指そうと決めたそうです。

高橋一生の生い立ち

高橋一生の生い立ちは壮絶で、実の母親から長年苦労を強いられてきました。ここでは、母親との出来事を中心に、高橋一生の生い立ちを解説していきます。

  • 身勝手な母親に振り回される
  • 父親違いの兄弟が4人生まれる
  • ヤングケアラーだった
  • 勝手に車を売られ絶縁

ドラマのような話ですが、全て高橋一生の身に起きたことです。衝撃的な生い立ちについて、順を追って見ていきましょう。

身勝手な母親に振り回される

高橋一生の母親はとても身勝手な人で、お金にだらしない人でした。

浪費癖がひどく、子供に対して友達の親からお金を借りてくるよう命じていたといいます。生活が苦しいなら家賃の安い郊外へ引っ越すという選択肢もあったはずですが、生活レベルを下げようとはしませんでした。

また、児童劇団の稽古に励む高橋一生に向かって「隣のあんちゃんを目指しなさい、あんたなんか」と、子供が傷つく言葉を投げていたそうです。

父親違いの兄弟が4人

高橋一生は5人兄弟の長男ですが、弟たちとは父親が違います。さらに、父親は実父を入れて3人と非常に複雑な家庭環境で育ちました。次男と三男、四男と五男は父親が同じだそうです。

しかし、高橋一生の実父は幼少期に亡くなっていて、義理の父親2人も既に他界。三男でロックバンド「never young beach」のメンバー・安部勇磨は、2人の父親を看取ったことを明かしていました。

ヤングケアラーだった

高橋一生は高校生の頃、ヤングケアラーだったことを明かしています。2018年に放送された『ボクらの時代』では、夕方から仕事に出る母親の代わりに弟たちの世話をしていたと話していました。四男が生まれたばかりの頃だとみられるので義理の父親がいたはずなのですが、自分の時間を削って両親の代わりをしていたようです。

勝手に車を売られ絶縁

過酷な幼少期を過ごしてきた高橋一生ですが、大人になっても母親が変わることはありませんでした。お金に困ると子供たちの物を勝手に売ることがあったそうですが、ある時高橋一生の愛車まで売ってしまったといいます。我慢の限界がきた高橋一生は絶縁を宣言し、家を出たそうです。その後、母親が癌になったと連絡を受けても会いに行きませんでしたが、亡くなる直前に見舞い、和解することができました。

高橋一生が妻との結婚を決めた理由

高橋一生が飯豊まりえとの結婚を決めた理由は、「自分軸で生きている」と感じたからではないかといわれています。飯豊まりえは17歳も年下ですが、周りに流されずに自分と向き合う時間を大切にしているそうです。洋服はネットショッピングで買わず、自炊をするなど堅実な姿に惹かれたのでしょう。お金にルーズで奔放な母親と正反対な人だからこそ、結婚を決めたと考えられます。

高橋一生の生い立ちまとめ

高橋一生は身勝手な母親に振り回され続け、お金の無心や弟たちの世話をさせられていたそうです。ヤングケアラーになっても弟たちの世話をしていましたが、勝手に愛車を売られたことをきっかけに10年ほど母親と絶縁していました。苦労が絶えない人生を歩んできましたが、この先は幸せなことばかり起こることを願いたいですね。