高橋一生は若い頃から変わっていない?母との関係や壮絶な生い立ちを徹底調査

この記事では、高橋一生さんの若い頃について調査しました。俳優の高橋一生は、生い立ちが原因で独身を貫くのではないかと思われていましたが、2024年5月に飯豊まりえさんとの結婚を発表しました。テレビやインタビューで幸せとは言えない子ども時代を過ごしたと明かしていますが、どんなことがあったのでしょうか。今回は、高橋一生さんの生い立ちや、妻との結婚の決め手について掘り下げていきます。

高橋一生は若い頃から変わっていない

高橋一生さんの若い頃について調べてみると、高橋一生さんはあまり変わっていないことが分かります。たとえば、2004年のテレビドラマ『怪奇大家族』で高橋一生さんがドラマに初主演したときの写真が、こちらです。

右から2番目の、高身長な男性が高橋一生さんです。スラッと背が高く、腕はガッシリしていて、イケメンですよね!

子役の頃は別人だった?

高橋一生さんは、若い頃から爽やかな塩顔イケメンだったことが分かりました。しかし子役時代を見てみると、ルックスが全然違っていましたよ。こちらが、高橋一生さんの子役時代の写真です。

写っている子どもが高橋一生さんだと説明しない限り、気づかない人もいそうなほど別人ですよね!当時はふっくらしていますが、ニコッと笑った顔は今の高橋一生さんの面影がありますね。

『カルテット』ではギャップ萌えも

高橋一生さんが出演したドラマの代表作の中に『カルテット』があります。本作は、アマチュア演奏家の30代男女4人がひょんなことから出会い、ひと冬の共同生活を送りながら、練習を重ね人前での演奏を目指す物語。当時、高橋一生さんは37歳で、ほどよく大人の色気を出しながらも、やや変わり者である家森役を熱演しました。

理屈っぽくこだわりの強い性格で「めんどくさそう」というイメージを抱かれながらも、爽やかなルックスとのギャップが人気でしたね。

高橋一生のプロフィールや経歴

高橋一生さんのプロフィールは以下のとおりです。

生年月日1980年12月9日(45歳)
出身地東京都港区赤坂
身長175㎝
血液型O型

赤坂御用地の近所に住んでいたため、宮仕えをしている親をもつ友達が多かったといいます。演技を始めたのは、祖母の勧めで始めた児童劇団がきっかけでした。ふさぎがちな子どもでしたが、発表会で泣いて喜ぶ祖母を見て俳優を目指そうと決めたそうです。

内気なイメージで役柄に偏りがあった

高橋一生さんはもともと内気な子どもで、それがきっかけで演技を始めたほどでした。しかし、役者として本格的に活動を始めてからも、内気で引きこもりがちなイメージが抜けず、似たような役ばかりオファーがあったそうです。当時は役者として評価されることもなく、子役から活動していることを考えると、芽が出るまで長い時間を要したようです。

転機となったのは『Woman』

高橋一生さんが俳優として一気に知名度を上げることになったのは、2013年に放送されたドラマ『Woman』でした。坂元裕二さん脚本の本作では、高橋一生さんのために「主人公の担当医」という役が書き下ろされました。

主人公・小春(演・満島ひかりさん)の担当医である澤村を演じた高橋一生さんは、見た目は若く大人しそうな印象ながらも、心の底から小春の病気と向き合う芯の強さを見せました。

芸能界の交友関係も広い

高橋一生さんは、芸能界でも交友関係が広いことで知られています。たとえば、俳優の岡田准一さんとは高校の同級生だそうで、ずっと仲が良いそうです。登山が趣味だという高橋一生さんは、かつて岡田さんにも登山を勧めたことがあり、それ以降「先生」と呼ばれているのだとか。また、松尾諭さんや志尊淳さんとも仲良しなのだそうですよ。内気な子どもだったといわれている高橋一生さんですが、友人関係を大切に育んでいて素晴らしいですね。

高橋一生の生い立ち

高橋一生さんの生い立ちは、叶恭子 生い立ちのように壮絶なものでした。実の母親から長年苦労を強いられてきました。ここでは、母親との出来事を中心に、高橋一生さんの生い立ちを解説していきます。調査してみると、ドラマのような話が出てきました。しかし、全て高橋一生さんの身に起きたことです。衝撃的な生い立ちについて、順を追って見ていきましょう。

身勝手な母親に振り回される

高橋一生さんの母親はとても身勝手な人で、お金にだらしない人でした。浪費癖がひどく、子どもに対して友達の親からお金を借りてくるよう命じていたといいます。生活が苦しいなら家賃の安い郊外へ引っ越すという選択肢もあったはずですが、生活レベルを下げようとはしませんでした。また、児童劇団の稽古に励む高橋一生さんに向かって「隣のあんちゃんを目指しなさい、あんたなんか」と、子どもが傷つく言葉を投げていたそうです。

母親は事業に手を染めるも失敗

高橋一生さんの母親は、事業に手を染めては失敗する…という繰り返しでした。あるときペットショップ関連の事業に失敗し、チワワが30匹残ってしまいます。母親は失敗後の後始末をせず、そのチワワは高橋一生さんたちが面倒を見ていたそうですよ。高橋一生さんの母親がビジネスに挑戦しようと思ったのは、子どもたちを育てたい気持ちからだったのか、興味本位だったのか気になるところですが、現在は亡くなられているため真相は闇の中です。

父親違いの兄弟が4人

高橋一生さんは5人兄弟の長男ですが、弟たちとは父親が違います。さらに、父親は実父を入れて3人と非常に複雑な家庭環境で育ちました。次男と三男、四男と五男は父親が同じだそうです。しかし、高橋一生さんの実父は幼少期に亡くなっていて、義理の父親2人も既に他界。三男でロックバンド「never young beach」のメンバー・安部勇磨さんは、2人の父親を看取ったことを明かしていました。

ヤングケアラーだった

高橋一生さんは高校生の頃、ヤングケアラーだったことを明かしています。2018年に放送された『ボクらの時代』では、夕方から仕事に出る母親の代わりに弟たちの世話をしていたと話していました。大人になってからも、安部勇磨さんは高橋一生さんに連絡を取りづらかったと語っているのですが、その理由が「母親からお金を借りてくるよう指示されるから」というものでした。安倍さんもまた、お金を無心される兄のことを心配していたのですね。

勝手に車を売られ絶縁

過酷な幼少期を過ごしてきた高橋一生さんですが、大人になっても母親が変わることはありませんでした。お金に困ると子どもたちの物を勝手に売ることがあったそうですが、ある時高橋一生さんの愛車まで売ってしまったといいます。我慢の限界がきた高橋一生さんは絶縁を宣言し、家を出たそうです。その後、母親が癌になったと連絡を受けても会いに行きませんでしたが、亡くなる直前に見舞い、和解することができました。

高橋一生が妻との結婚を決めた理由

高橋一生さんが飯豊まりえとの結婚を決めた理由は、「自分軸で生きている」と感じたからではないかといわれています。飯豊まりえは17歳も年下ですが、周りに流されずに自分と向き合う時間を大切にしているそうです。洋服はネットショッピングで買わず、自炊をするなど堅実な姿に惹かれたのでしょう。お金にルーズで奔放な母親と正反対な人だからこそ、結婚を決めたと考えられます。

参考:NEWSポストセブン

高橋一生の生い立ちまとめ

高橋一生さんは身勝手な母親に振り回され続け、お金の無心や弟たちの世話をさせられていたそうです。ヤングケアラーになっても弟たちの世話をしていましたが、勝手に愛車を売られたことをきっかけに10年ほど母親と絶縁していました。苦労が絶えない人生を歩んできましたが、この先は幸せなことばかり起こることを願いたいですね。

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