俳優として活動している成宮寛貴さん。繊細な演技力と端正なルックスで多くのファンを魅了していますが、彼の人生は決して順風満帆ではなく、幼少期から壮絶な経験を重ねてきました。
そこで本記事では、成宮寛貴さんの知られざる生い立ちや弟は医者という噂の真相について調査していきます。
弟は医者ではない?
成宮寛貴さんの弟が医者であるという噂が一部で広まりましたが、実際のところは医者ではありません。これは成宮寛貴さんがテレビ出演の際に「弟は医者ではないですよ」と発言したことから誤報だということがわかっています。
また、弟は東京理科大学出身でその後大学院まで修了していますが、東京理科大学には医学部がないということも医者ではないと裏付ける証拠になります。理系分野に進んでいますが、医療職ではないようですね。
兄の支えで一浪し、東大医学部に挑戦していた
成宮寛貴さんの弟は、東京理科大学に進学する前に一浪しています。その理由は東大医学部を受験したためで、これは兄である成宮寛貴さんの勧めによるものでした。自身に学歴がなかったことを悔やんでいた成宮寛貴さんは、弟には後悔のない道を歩んでほしいと願っていたそうです。
このエピソードが世間で広がったため、「成宮寛貴さんの弟は医者である」という噂が浮上するようになったのでしょう。惜しくも合格には至らなかったものの、弟は後に「兄を喜ばせたかった」との思いを手紙に綴っており、兄弟愛が垣間見えます。
現在は就職し、結婚もしている
弟は現在、一般企業に就職し、社会人として堅実な生活を送っているだけでなく、結婚もして幸せな家庭を築いているそうです。公私ともに兄に支えられてきたことへの感謝の気持ちは深く「兄がいてくれたからこそ今の自分がある」と語っています。
一方で、成宮寛貴さんも「弟の存在が自分を強くしてくれた」と話しており、兄弟愛の深さに多くの人が感動しました。メディアには出ない弟ですが、兄を陰ながら支える存在であり、一番のファンなのでしょう。
成宮寛貴の壮絶な生い立ち
成宮寛貴さんは華やかな活躍の裏で、壮絶な生い立ちを経験しています。しかし、唯一の家族である弟との兄弟愛が感動すると話題になったことがありました。ここでは、成宮寛貴さんの生い立ちから現在まで、そして兄弟愛について紹介します。
幼少期に父親を亡くし、母子家庭で育つ
成宮寛貴さんは1982年9月14日、東京都で生まれました。幼少期に両親が離婚した後、母親に引き取られたことで母子家庭で育ちます。家計は決して豊かなものではなかったものの、体が弱かった母親のために、成宮寛貴さんが中学校からアルバイトをして家計を助けていたそうです。
こうした環境で育った経験が、後の強い責任感と家族への深い愛情に繋がっていきました。
中学生で母を亡くし、弟と二人きりに
中学2年生の14歳の時に、最愛の母が病気で亡くなります。この突然の出来事により、成宮寛貴さんの生活は大きく崩れました。親戚を頼ることもありましたが、事情により安定した生活が続かず、15歳で弟と二人きりの生活に。
このことで、自分が弟の親代わりになるという強い覚悟を抱きます。当時の心情については多くを語っていませんが「弟を守る」という想いが、成宮寛貴さんの人生を貫く芯になったことは間違いありません。
高校進学を断念し、生活費と弟の学費を稼ぐ日々
高校には進学せず、中学卒業後すぐ働き始めた成宮寛貴さんは、複数のアルバイトを掛け持ちし、生活費を稼ぎました。弟の進学を支えるために、自分の進路や夢などは全て後回しにしたといいます。
まだ10代の少年が家庭を支えながら生き抜いていくという状況は過酷そのもの。ですが、その困難を乗り越えた経験が彼の人間力を育てたのでしょう。
芸能界入りのきっかけはオーディション
芸能界入りのきっかけは、舞台「滅びかけた人類、その愛の本質とは」のオーディションに自ら応募したことでした。2000年、当時17歳の成宮寛貴さんは、演技経験もないままオーディションに挑戦し、見事合格。
その熱意と存在感が評価され、芸能界デビューを果たします。以後は「ごくせん」や「オレンジレンジ」などヒット作に出演し、人気ドラマ「相棒」で水谷豊さんの相棒にも抜擢されるなど、2000年代を代表する若手実力派俳優として地位を確立。
独特の色気と繊細な演技が多くの視聴者を魅了し、幅広い役柄で支持を集めました。
海外移住と沈黙の期間、SNSでの再出発
しかし、2016年にゲイ疑惑や薬物報道などで突然の引退を発表。引退後は海外へ移住し、ドイツ・東南アジアなどを転々するなど、しばらくの間は完全に表舞台から姿を消しました。
家族や関係者も心配する中での決断でしたが、2019年末にはinstagramを開設し、久々に近況を報告。翌年以降はライフスタイルブランド「NU DO.」を立ち上げ、アパレルやアクセサリーのプロデュースなど、芸能界とは異なる形での表現活動を展開し、新たな挑戦をしました。
今もなおこのブランドは多くのファンから温かい支持を受けています。
芸能活動再開
長い間、表舞台に出ていなかった成宮寛貴さんですが、2024年ついに本名である「平宮博重」として芸能活動を再開。約7年ぶりに公の場へ姿を現わし、多くのファンがその復帰を歓喜で迎えました。復帰後は自身のブランドの運営と並行しながら、自分のペースで芸能活動を再開しています。
中でも注目を浴びたのが8年ぶりとなるドラマ主演でした。ABEMAオリジナルドラマ「死ぬほど愛して」で主演に抜擢され、見事殺人鬼という難役を演じ切ったのです。その演技力は活動休止前と変わらず、今後の活躍にも期待できるほどのものでした。
最後に
幼い頃に母親を亡くし、弟を守り抜いた成宮寛貴さんの人生は、まさに壮絶そのもの。自らの夢を後回しにしてまで弟の将来を支えた姿に、多くの人が心を打たれました。
数々の困難を乗り越え、再び表舞台へと戻ってきた彼の姿は、家族愛と人間としての強さを象徴しています。今後の活躍にも期待ですね。