2022年8月26日から9月11日の日程で開催されたバレーボール男子世界選手権。日本は決勝トーナメントへ進み、東京オリンピック2020で金メダリストを獲得したフランスにフルセットの末に惜しくも敗れ、ベスト16で今大会を終えました。最終セットでは日本がマッチポイントを握る場面もあり、強豪国と互角に戦えるまでに成長した日本代表チーム。そんなバレーボール男子日本代表の復活を支えているのが、キャプテンの石川祐希選手をはじめとする海外移籍経験のある選手たちです。
そこで今回は、現在海外のクラブチームに所属している選手や過去に所属していた選手、バレーボール海外移籍の先駆者である加藤陽一選手についてまとめてみました。
現在海外のクラブチームに所属している選手
野球やサッカーに比べると海外でプレーをするバレーボール選手は少ないですが、石川祐希選手は中央大学1年生時にイタリアのセリエA・パッラヴォーロ・モデナと1年間の契約を交わし、その後も大学在学中に同じくセリエAのトップバレー ラティーナへ短期派遣されました。
大学卒業後は日本のVリーグではなく、イタリアのクラブチームでプロバレーボール選手として活躍しています。また、髙橋藍選手についても大学在学中にセリエAのパッラヴォーロ・パドヴァに期限付きで入団し、現在もパドヴァで引き続きプレーしています。
男子バレーボールの場合、Vリーグのチームを目指す学生のほとんどは大学へ進学し、大学卒業後にVリーグへと進みます。大学生は単位の取得の仕方によっては半年間または1年間、時間を作ることが可能なため、海外への武者修行に行きやすいのかもしれません。若いうちから世界のトップレベルのプレーを体感することで、日本代表チームのレベルの底上げに繋がります。
男子
選手名 | ポジション | チーム名 | 移籍先の国 |
石川祐希 | アウトサイドヒッター | パワーバレー・ミラノ | イタリア |
宮浦健人 | オポジット | スタル・ニサ | ポーランド |
高橋藍 | アウトサイドヒッター | パッラヴォーロ・パドヴァ | イタリア |
女子
選手名 | ポジション | チーム名 | 移籍先の国 |
柴田真果 | セッター | バンドゥーブル・ナンシー | フランス |
井上愛里沙 | アウトサイドヒッター | サンラファエル | フランス |
現役日本代表メンバーで過去に海外のクラブチームに所属した経験のある選手
西田有志選手は、東京オリンピック2020に出場した後にイタリアのクラブチームへ移籍しています。関田誠大選手も同じく東京オリンピック終了後にポーランドの1部リーグへと移籍しました。両選手ともに1シーズン海外でプレーをし、2022年6月にジェイテクトSTINGSに入団し、日本のVリーグに戻っています。
男子
選手名 | ポジション | チーム名 | 移籍先の国 |
西田有志 | オポジット | ヴィボ・ヴァレンツィア | イタリア |
関田誠大 | セッター | クプルム・ルビン | ポーランド |
大竹壱青 | オポジット | ユナイテッドバレーズ ・レインマイン | ドイツ 短期留学 |
女子
選手名 | ポジション | チーム名 | 移籍先の国 |
内瀬戸真実 | アウトサイドヒッター | ヘルマエア・オリビア | イタリア |
バレーボール海外移籍の先駆者・加藤陽一
日本人初のメジャーリーガーは村上雅則さんで1964年にアメリカに渡りました。そして日本人で初めてサッカーのヨーロッパリーグでプレーをしたのは奥寺康彦さんで、1977年にドイツへ渡っています。それらに比べるとバレーボールの海外移籍は遅いスタートと言えるのではないでしょうか。こちらではバレーボール海外移籍への道を開いた加藤陽一選手にスポットを当ててみます。
加藤陽一選手のプロフィール
- 生年月日:1976年8月12日
- 年齢:46歳
- 出身地:大分県大分市
- 身長:190cm
- 血液型:A型
- ポジション:ウイングスパイカー
- 現役時代のキャッチコピー:世界を知る日本のサムライ
筑波大学在学中の1998年世界選手権で全日本代表デビューを果たし、朝日健太郎選手や西村晃一選手らとともにバレーボール人気の立役者となります。スパイクを放つ際のジャンプの滞空時間が長いことから「空飛ぶプリンス」と称されていました。大学卒業後はVリーグの東レ・アローズに入団し、新人賞と敢闘賞を獲得、チームを準優勝に導く活躍を見せます。
しかし、日本代表がシドニーオリンピック最終予選でオリンピック出場権を逃したことをきっかけに、世界との差を埋めるべく海外挑戦を決意。2002年にイタリア・セリエAのシスレー・トレヴィーゾへ移籍します。当時の日本代表の選考基準に「Vリーグ、もしくは大学に所属する選手」という規約があったため、日本バレーボール協会は加藤陽一選手の海外移籍を快く思っていませんでした。そのため、加藤陽一選手は自分で宣伝材料を作成し、ほぼ個人で売り込みに行きました。
トレヴィーゾでは主力選手の怪我により出場機会が増えると、加藤陽一選手は攻守に活躍し、その年のセリエAのオールスター戦で外国人選抜にも選出されました。そして、2002-2003シーズンには優勝も経験します。
2003年、日本代表との日程を合わせるため、ギリシャのPAOKに移籍。この頃、日本バレーボール協会は加藤陽一選手のために日本代表の選考基準から「Vリーグ、もしくは大学に所属する選手」の規約を削除します。日本代表に復帰した加藤陽一選手は、2003年ワールドカップではキャプテンとしてチームを支えました。
その後、2004年1月、フランスリーグ・プロAのアラゴ・デ・セテへ、同年9月にはセリエAのRPAペルージャに移籍。ペルージャでは2004-2005シーズン準優勝を果たしましたが、加藤陽一選手は試合出場の機会にあまり恵まれませんでした。そして2005年、JTサンダーズに移籍をし、日本のVリーグに復帰。現在はV.LEAGUE DIVISION1のJTマーヴェラスでコーチを務めています。
まとめ
今回は男女バレーボールで海外のクラブチームに所属する選手や過去に海外でプレーした経験のある選手についてまとめてみました。バレーボールはコートに6人しか立てないスポーツであるため、海外のトップリーグでプレーすることは狭き門なのかもしれません。しかし、オリンピックや世界選手権などでメダルを獲得するためには、世界のトップレベルを肌で感じる必要があるのではないでしょうか。
石川祐希選手のように早い段階で世界に挑戦することや、柳田将洋選手のように複数年海外でプレーし経験を積むことが大事なのではないかと思います。バレーボールに「長身」は重要なポイントで、日本人はその点ハンデを負うことになりますが、それでも過去には日本代表もオリンピックや世界選手権でメダルを獲得しています。
2024年パリオリンピックでのメダル獲得が叶うよう、多くの日本人選手に海外挑戦の機会が与えられることを願っています!