村上清貴の学歴と経歴は?子供や村上農園の後継者はいるの?

村上清貴 学歴

 

2019年5月放送のカンブリア宮殿に
出演した村上農園の『村上清貴』社長。

 

 

豆苗やブロッコリースプラウトで
日本の食卓を支えていると言っても
過言ではない、村上農園の経営者です。

 

 

元々はカイワレ大根の生産に
力を入れていましたが、
事実無根のO-157騒動で
経営が傾き、そこからスプラウト市場を
構築し、復活を遂げました。

 

 

村上清貴社長の経歴を中心に
調べてみました。

 

 

 

 

村上清貴の学歴と経歴は?

村上清貴 経歴

出典:村上農園

 

村上清貴氏は
1960年7月生まれで
山口県出身。

 

 

4歳の時にガス会社に勤めていた
父親がガス中毒で亡くなっています。

 

 

高校は山口県立徳山高校
母子家庭であったことから
公立高校を選び、大学も
国公立への進学を考えていました。

 

 

医学部を目指していたので
徳山高校の理数科に通って
いたんですが、
周りが秀才ばかりで勉強に
疲れ果ててしまったため
医学部は断念。

 

 

それでもきちんと国立大学である
広島大学総合科学部に入学。

 

 

1983年に株式会社リクルート
ホールディングスに入社し
法人営業担当していました。

 

 

リクルートホールディングスが過去に
設立した、株式会社日本リクルート
センターから株式会社リクルート映像
独立します。

 

 

そこに村上清貴氏は
1988年に異動し、営業課長、
マーケティング企画課長などを
経験し、1993年まで勤めます。

 

 

村上農園は1978年に村上秋人氏が
設立し、かいわれ大根の生産を
始めました。

 

 

村上秋人氏は独身でもちろん
子供もおらず、後継者問題に
悩んでいたとのこと。

 

 

そこで注目されたのが、
村上秋人氏のいとこの子供
だった村上清貴氏だったのです。

 

 

村上清貴氏は1993年に村上農園に
入社し、2007年に社長に就任しました。

 

 

豆苗の生産は1995年から
だったそうですが、
やはりかいわれ大根の生産量の
方が高く、1997年に起こった
O-157騒動では原因がかいわれ大根に
あるという風評被害によって
売上高は激減してしまいます。

 

 

村上清貴氏が社長に就任してから
品質統一を目指して品質管理を
徹底したというのが、現在の会社の
急成長に繋がっているようです。

 

 

確かに、野菜ってなかなか全て
同じ大きさで同じ同じ味って難しい
ですよね。

 

 

私も頑張って目利きはするけど
実際に当たりハズレはあります。

 

 

その点、豆苗は常にどの商品も
大きさが揃ってる気がする。

 

 

たくさん入っていて安い
というのも家計には嬉しい
ですし、いつ買っても同じ
品質というのは信頼も高く
なりますよね。

 

 

 

 

村上清貴の子供や村上農園の後継者はいるの?

村上清貴氏は
2020年で150億円、
2025年に300億円、
2035年には1,000億円規模
を目標としています。

 

 

2035年には村上清貴氏は
社長業からは引退しているという
計算をしているようなので、

 

村上秋人氏と同じように
15年後には後継者が
どうなるのか気になるところ。

 

 

実は村上清貴氏には
娘さんが3人いらっしゃる
とのことなんです。

 

 

しかし、村上農園に入社して
からは、元々住んでいた
栃木県宇都宮市に奥さんと
娘さん3人は残したまま
なんだそう。

 

 

今となっては後継者に
性別も関係ないですし
娘さんの誰か一人が村上農園に
入社して…みたいなこともありえる
かもしれません。

 

 

でも、やっぱり父親の仕事を
継ごうと思うのは、父親の仕事を
間近で見ているからこそ、
そういう気持ちが芽生えると
思うので、

 

離れて暮らしている間は
娘さんが後継者と考えるのは
厳しいのかな、と思いました。

 

 

血の繋がりがなくても
村上農園には若い役員が
たくさんいます。

 

 

きっと村上清貴氏が
信頼を置き、後継者として
育てている方がいらっしゃる
と思うので、村上農園の
目標は託されると思います。

 

 

生産の自動化やAIの導入で
ますます村上農園は
発展を遂げていくと
考えられています。

 

 

日本の食卓の救世主となる
豆苗はスプラウトをしっかりと
守っていってほしいですね!