横山裕の壮絶すぎる生い立ちとは?家族構成や弟との関係にも涙

SUPER EIGHTの横山裕と言えば、元気で明るくバラエティ番組でも活躍している印象があるかと思います。そんな横山裕は生い立ちが壮絶だと言われています。家族構成や弟の関係を知ると、涙する人も多いほどなのです。そんな横山裕の生い立ちと家族構成や弟の関係を紹介していきます。

横山裕の生い立ち

横山裕のドラマのような壮絶な生い立ちを紹介していきます。

幼少期

横山裕は、大阪府此花区で生まれ育っています。横山裕が3歳の時に両親が離婚し、シングルマザーとして育てられます。母親は仕事もあり、同じ団地にいた祖父母にほとんど育てられていました。5歳の時に母親が再婚したため、一緒に暮らすようになります。

しかし、義父との関係が悪く、手を挙げられることもあり、再び祖父母と暮らすようになりました。横山裕が6歳、8歳の時に弟が生まれたのですが、横山裕は祖父母と暮らしています。11歳の時に祖父母の心臓疾患があり、ペースメーカーを装着するようになり、中学2年の時に亡くなりました。おじいちゃん子だったため、横山裕の悲しみは大きかったようです。

その後は両親、弟と一緒に住むようになったのですが義父との関係も変わらず、中学卒業後は働くように言われていました。それと同時に、中学3年生の時から現在の事務所に所属をし、建設現場で働きながらレッスンやテレビ局に通うなどしていたのです。

成人後

横山裕は23歳で関ジャニ∞としてデビューしました。しかし、その時に母親ががんを患い、手術することとなったのです。病気をきっかけに義父とは離婚したため、横山裕は「一人前になるまでは弟たちを支えなければ」と仕事をしながらも大阪に帰省し、弟たちの父親のように厳しく育てていました。

ところが、2010年、横山裕が29歳の時、当時50歳だった母親が急死しました。横山裕はソロコンサート中で青森にいたところ、次男より母親が倒れたと連絡が入ったのです。横山裕は、コンサート当日でしたが、「仕事を投げ出すな」という母親の言葉の元、ファンには何も告げず、コンサートを継続します。

奇しくもセットリストに、大好きな母親のことを歌った「オニギシ」という曲が入っており、涙ながらに歌ったことはファンの間でも有名です。母親の急死後、次男が記憶喪失になり、横山裕は大阪と東京を行き来する生活を送ったりもしていました。

家族構成

横山裕の家族構成は、現在は弟二人のみです。6歳下の次男の勉と、8歳下の三男充です。二人の弟とは仲が良く、一緒に住んでいたこともありました。「横山」という姓は、義父の姓ですが、弟もいたこともあり、姓を変えなかったようです。また、横山裕という名前は芸名であり、本名は槙山侯隆と言います。弟たちからは「兄ちゃん」「侯兄」と呼ばれているようです。

弟たちとの関係

横山裕と弟たちは、兄でありながらも働きながら支えていたこともあり、父親のような存在です。三男は、現在税理士をしていますが、大学の費用などは横山裕がすべて出しています。税理士に合格した際は、横山裕も凄く喜び、ブログでも伝えていました。

次男の勉は結婚しましたが、そのときに横山裕への思いも手紙で伝えています。「本当に父親のような存在で、怒られたときは辛かったけど、凄く感謝している」と言われ、横山裕は大号泣したのです。その後、サプライズとしてトランペットで「家族になろうよ」を演奏予定でしたが泣いてしまい、吹けなかったようです。そんな結婚した弟とは現在でも自宅にいくなど、交流はあり、兄弟の仲の良さは変わらないですね。

まとめ

横山裕の生い立ちを見てみると、幼い頃から苦労していることが分かりました。そのため、今のようながむしゃらさや努力する姿があるのかもしれませんね。これからも活躍を楽しみに見ていきたいと思います。