お笑い界のBIG3と言われ、今もなお芸能界の第一線で活躍している明石家さんまさん。常に明るく何の悩みもないように思われていますが、実は生い立ちが壮絶すぎたことをご存じでしょうか?そこで今回は、明石家さんまさんの生い立ちの壮絶さや芸人になったきっかけについて調査しました。
明石家さんまの生い立ちが壮絶すぎた!?
早速、明石家さんまさんの生い立ちについてまとめていきます。
3歳の頃に実母と死別
奈良県で生まれた明石家さんまさんは両親と兄の4人家族でした。しかし、3歳の頃に母が病死し、小学校高学年になった頃に父が再婚。継母には連れ子がいたため、義弟ができています。この年の離れた義弟を「チビ」と呼び可愛がっていたそうです。しかし、継母とはうまくいかない人生が始まるのでした。
継母に可愛がられなかった
義弟には懐かれ仲良く成長した明石家さんまさんでしたが、継母には可愛がられなかったとのこと。継母に心を開いてもらおうと毎日面白いことをして喜ばせていたようですが、結局心を開いてくれることはなかったとのこと。また、継母は「自分の子供はこの子だけ(義弟)」と言っているのを聞いてしまい、ベッドで兄弟揃って泣いたこともあったとのこと。この経験により結婚した大竹しのぶさんの連れ子を大切にしたと言われています。
最愛の弟が焼身自殺
お笑い芸人として人気絶頂の時期だった頃、可愛がっていた義弟のチビが19歳で死去。焼身自殺でした。このショックから番組で笑いが取れなくなり芸人を本気で辞めようと思っていたそうです。しかし、同期のオール巨人さんがあえて事件をネタにしたことで、励ましてくれていると感じた明石家さんまさんは死を乗り越えることができたと話しています。
搭乗予定だった飛行機が墜落
1985年8月12日に日本中を揺るがした大惨事「日本航空JAL123便墜落事故」。坂本九さんを含む520名の命が一瞬で消えてしまう非常に痛ましい事故でした。実はこのJAL123便に明石家さんまさんの搭乗予定だったのです。しかし、仕事の時間が押したことで違う便に変更になったため、命拾いしています。明石家さんまさんの運の強さが伺えるエピソードですね。
IMALUの名前の由来
愛娘であるIMALUさんの名前の由来は「生きてるだけで丸もうけ」。一見ふざけているように感じますが、墜落事故で命拾いしたことから、座右の銘を「生きてるだけで丸儲け」にしたそうです。IMALUさん本人は名前をどう思っているのかわかりませんが、明石家さんまさんの強い願いと愛情が感じられるエピソードとなっています。
明石家さんまが芸人になったきっかけとは?
明石家さんまさんが芸人になったきっかけは、高校時代の英語の先生の一言だったとのこと。当時から人前でネタを見せるのが好きで、英語の授業中にもよく授業を中断してお笑いをしていたそうです。そんな姿を見て才能があると気づいた先生は「杉本、吉本入れ」と言い、その言葉に興味を持ち始めたことで高校3年生の時に笑福亭松之助さんに弟子入りしました。その2年後、兄弟子と漫才コンビで選手権に出場し、ウケたことがきっかけで芸人の道が切り開けるようになったのです。
最後に
今回は、明石家さんまさんの生い立ちが壮絶すぎたことや、芸人になったきっかけについて調査しました。自分が育った環境は恵まれないものでしたが、それがきっかけでお笑いをする原点を作ったのは皮肉にも継母でした。また、連れ子を大事にするのも継母がきっかけだったということで、現在の明石家さんまさんがいるのがある意味継母と出会ったことなのかもしれませんね。