この記事では、すがちゃん最高No1の生い立ちについて調査しました。お笑いトリオ「ぱーてぃーちゃん」のすがちゃん最高No1。生い立ちを明かし世間に衝撃を与えましたが、何があったのかご存知でしょうか。中1で1人暮らしをしていたという話もあり、壮絶な子供時代を過ごしてきたことがうかがえます。今回は、すがちゃん最高No1の生い立ちについてまとめました。芸人になるまでの経歴についても解説しているので、ぜひ最後までご覧ください。
すがちゃん最高No1のプロフィールと経歴
すがちゃん最高No1のプロフィールと経歴は次のとおりです。
- 本名:菅原直人
- 生年月日:1991年8月21日(35歳)
- 出身地:山形県山形市
すがちゃん最高No1は山形学院高等学校を卒業後、ワタナベコメディスクールに入所しました。芸人を目指しながら、テレビ制作会社でADとして働いていた経歴があります。2021年にコンビを組んでいた信子と金子きょんちぃと合流し、お笑いトリオ「ぱーてぃーちゃん」を結成しました。自由奔放なギャル2人をまとめあげるというポジションで、一味違ったギャル男のイメージを確立したすがちゃん最高No1。ここからは、衝撃の生い立ちを見てみましょう。
すがちゃん最高No1の生い立ち
すがちゃん最高No1の生い立ちは非常に過酷なものでした。ここからは、生い立ちについて解説していきます。幼少期に母親と死別していますが、それから中1で1人暮らしをすることとはなかなか結びつきませんよね。父親はいたはずなのに、なぜそんなことになってしまったのでしょうか?それぞれの事情を掘り下げてみましょう。同じく壮絶な生い立ちを持つ成宮寛貴 兄弟の面倒を見ていたそうですが、すがちゃん最高No1は1人っ子のようです。
幼少期に母と死別
すがちゃん最高No1は、3歳のときに母親と死別しています。病気を患っていた母親は、出産したら命の保証がないことをわかっていてすがちゃん最高No1を生みました。産後も入院していた母親は、息子に自分のことを「おばちゃん」と呼ばせていたといいます。自分の死後に子どもが悲しまないための配慮だったのでしょうか、すがちゃん最高No1への深い愛情を感じますね。
父方の伯母に育てられる
母親が亡くなった後にすがちゃん最高No1を育ててくれたのは、父方の伯母でした。当時祖父母が働いていたのかは不明ですが、父親、伯母、祖父母の5人暮らしで、一家の生活を支えていたのは伯母だったそうです。父親は妻を亡くした寂しさからか、お酒やギャンブルに明け暮れ留守がちだったといいます。伯母はすがちゃん最高No1の身の回りの世話だけでなく、学費も工面してくれたことを明かしていました。伯母にはとてもよく懐いていたといい、家の中ではべったりくっついていたそうですよ。
参考:日刊ゲンダイ
父親が知らないうちに再婚
破天荒な父親は、すがちゃん最高No1や他の家族が知らないうちに再婚をしていました。小学校3年生の頃、もともと留守にしがちだった父親が帰ってこなくなり、しばらくして見知らぬ女性と子供3人を連れて帰ってきたそうです。久しぶりに帰宅した父親は「今日から俺達がこの家に住むから、お前ら出ていけ」と言い放ったそうですが、祖父母や伯母が追い返したといいます。
小学校高学年で祖父母と3人暮らしに
すがちゃん最高No1が小学校高学年になると、それまで面倒を見てきてくれた伯母が東京に行くことになってしまいました。山形県から東京への移住ということで、伯母にはめったに会えなくなってしまいました。そして、しばらく祖父母と3人で暮らすことに。伯母は一緒に東京に来ないかと誘ってくれたそうですが、意地を張って断ってしまったのだそうですよ。すがちゃん最高No1は思春期だったこともありますが、迷惑をかけたくないという思いがあったのでしょうか。
中1で1人暮らし
すがちゃん最高No1が中1で1人暮らしをしていたというのは事実です。東京行きを断ってしまい、しばらくは寂しい生活を強いられました。その後、祖父が亡くなり祖母も施設へ入ったことにより、すがちゃん最高No1はひとりぼっちになってしまいました。しかし、悲観的になることもなく、当時の状況を「悲しんでいる僕ってカッコいいな」と思っていたそうです。中学生で1人暮らしをしていたのは、アパートなどに引っ越したのではなく、伯母も祖父母も立て続けに家からいなくなってしまったということだったんですね。
参考:産経新聞
友達の母親を見て家事を覚える
中1で1人暮らしをしている状況をかっこいいと思っていたすがちゃん最高No1ですが、自分でできることは限られていました。それでも誰かに助けを求めることはせず、誰かの家へ遊びに行き、友達の母親が家事をする様子を盗み見ていたといいます。お弁当が必要なときは、「お母さんが作った風」のお弁当を自分で作って持っていっていたそうです。洗濯においては「柔軟剤」に辿り着くまでかなりの時間を要したそうで、良い匂いのする服に憧れて石鹸を塗りたくっていたこともあったとか。
不思議と寂しさはなかった
すがちゃん最高No1は複雑な生い立ちがあり、もともと賑やかな家族に囲まれた家庭ではありませんでした。そのため、1人暮らしになっても特段それを感じることもなかったそうです。それよりも、好きなときに友人を家に呼べるという開放感のほうが大きかったのだとか。そして、外では普通の中学生を演じているけれど、実は1人暮らしをしているという秘密を抱えた男として、カッコよく生きようと決めたのだそうです。とことんポジティブで、生命力のある人物だということが分かりますよね。
雑草を食べていたこともあった
すがちゃん最高No1の生活費は伯母さんが工面してくれていましたが、あるとき漫画を買いすぎてお金が無くなってしまいました。空腹を満たすために雑草を炒めて食べましたが、味は激マズ。困っていたところに借金取りが父親を訪ねてやってきて、雑草料理を見ると待つように言い残しどこかへ行ってしまいました。帰ってきた借金取りは玉子を買ってきて、雑草料理を玉子とじにしてくれたそうです。
母親と父親の関係は?
すがちゃん最高No1の母親は、すがちゃん最高No1が3歳のときに亡くなっていますので、両親がどのような関係だったかは分かっていません。すがちゃん最高No1も覚えていませんし、育ててくれたのは父方の伯母でしたから、伯母が母親のような存在だったのでしょう。しかし、父親が破天荒な暮らしをしていたのは、妻を亡くしたショックからではないかとされています。そのため、父親と母親の夫婦関係としては良好で、亡くなったことで父親の人格が変わってしまった可能性もあるのですね。
すがちゃん最高No1の経歴
では、すがちゃん最高No1の経歴を見てみましょう。中学生で1人暮らしを経験し、壮絶な生い立ちを持っている彼ですが、どのような経緯でお笑い芸人になったのでしょうか。ポジティブで、波乱万丈な幼少期を過ごしてきたすがちゃん最高No1は、高校生のときにジュノン・スーパーボーイ・コンテストに応募したことがあります。今もイケメンと人気ですよね!それでは、芸人になるまでの道のりを見てみましょう。
専門学校でテレビ制作を学ぶ
すがちゃん最高No1は、専門学校でテレビ制作について学んでいました。卒業後はテレビの制作会社に就職が決まり、通販番組のADとして働いていたそうです。失敗も多く、自分でも「使えない」と自虐するほどだったそうですが、周囲に恵まれ、楽しく仕事をしていたそうですよ。自分の失敗を笑いに変えてくれる上司に出会い、人を楽しませる仕事をしたいと思うようになったとか。
ワタナベコメディスクールでお笑いを学ぶ
その後、ADを退職したすがちゃん最高No1は、ワタナベコメディスクールに入所しました。2014年にコンビを組みますが、活躍の兆しが見えず2020年に解散。お笑い芸人・ぺこぱとは当時からの仲だそうです!そして、2021年に現在のお笑いトリオ・ぱーてぃーちゃんを結成しました。たった1人で幼少期を過ごしてきたすがちゃん最高No1ですが、人に助けられ、人を楽しませる職業に夢を持つようになったのですね。
まとめ
今回は、すがちゃん最高No1の生い立ちについてみてきました。すがちゃん最高No1は3歳で母親との死別を経験し、父方の伯母に育てられています。家族が次々に家からいなくなったため中学1年生で1人暮らしをすることになってしまいましたが、その状況を本人は「かっこいい」と楽しんでいました。すがちゃん最高No1は病気で亡くなってしまった破天荒な父親を恨むことはなく、「面白い親父」と表現しています。
