辻元清美の生い立ちや父親について調査!経営者だが破綻で貧困?真相は?

辻元清美さんとは、立憲民主党に所属している参議院議員です。立憲民主党の代表代行も務めており、ピースボートの設立者の1人としても知られています。

そんな辻元清美さんですが、一部では父親が経営者であったとの噂や、幼少期に貧困生活を強いられていたとの噂があるようです。そこで今回は辻元清美さんの生い立ちについて紹介します。

辻元清美の生い立ちについて

辻元清美さんは奈良県吉野郡で生まれ育ちましたが、実家がかなり貧しかったこともあって幼少期はかなり大変な思いをされていました。度々家計が苦しくなると辻元清美さんは奈良の親戚の家に預けられていたと明かしており、その親戚の家ではかなりの差別も受けていたと語っています。当時問題視されていた部落出身の人たちや在日韓国人への差別の問題に辻元清美さんは幼少期から疑問を呈しており、自身の目の前でそういった差別があると大人相手にでも強く反発するような正義感の持ち主だったと回想しています。

後に幼少期の苦しい生活や身を持って経験した差別などが政治家としての辻元清美さんの生き方や考え方に大きな影響を与えるキッカケとなったとも話しており、壮絶な生い立ちを歩んでいたことが伺えるのではないでしょうか。

辻元清美の学歴

辻元清美さんは中学卒業後、名古屋大学教育学部附属高校へ入学しており、大学は早稲田大学教育学部へと進学しました。2025年時点のデータですが名古屋大学教育学部附属高校は偏差値が61、早稲田大学教育学部の偏差値は66から71ほどだといわれているので、壮絶な生い立ちの中でも辻元清美さんはかなり勉強を頑張ったのではないでしょうか。

苦しい思いをしたからこそ、その反骨心をエネルギーに変えていたのかもしれませんね。

辻元清美の父親は経営者?

辻元清美さんの父親は経営者であり、過去には洋服屋を経営されていました。大阪府で会社を起こしていたそうですが時代の不況も相まって倒産しており、非常に大変な思いをされたそうです。その後、家族を養うために立ち食いのうどん屋をオープンさせますがこれもまた波に乗らずに家計は火の車状態でした。

度重なる引っ越しと家族バラバラの生活を続け、辻元清美さんの父親の事業が軌道に乗ったのは辻元清美さんが高校生の頃。この頃になり、ようやく家族全員で暮らせるようになったそうですよ。

辻元清美の落選から現在まで

2021年の衆議院議員選挙で辻元清美さんが落選し、大きな話題となりましたね。当時辻元清美さんは20年ぶりに無職になり、両親が暮らす実家に戻ったそうです。その際に年老いた両親を見て、老後の不安を感じて改めて政治のあり方を考え直す時間を過ごしたと明かしています。

そして落選後すぐに全国を巡っては国民の声を聞く旅をはじめ、自身が見落としていたと語る国民の小さな声を集めると、その後2022年の参院比例を経て国政へと復帰。現在は立憲民主党の代表代行として政治に深く携わっています。

まとめ

今回は政治家の辻元清美さんの生い立ちを中心に、学歴や父親が経営者であるという噂、そして落選から国政復帰までの経緯について紹介しましたがいかがでしたか。幼少期にどん底を味わい、そして政治家になった後も挫折を経験した辻元清美さん。こういった逆境から這い上がってきた方なだけに、今後の更なる活躍に期待を寄せる方も多いのではないでしょうか。