2024年現在、日本で今1番売れているグループとも言われるSnow Manの最年少メンバーでセンターのラウールさん。日本人離れした顔立ちに、手足の長さ、高身長でグループの中でも特に目を引く存在です。
アイドル活動以外にも、モデルや俳優としても活躍中のラウールさんはハーフなのですが、どこのハーフなのか気になりますよね。経歴やプロフィールと併せてご紹介します!
ラウールはどこのハーフ?
ラウールさんは、父親がベネズエラ人・母親が日本人のハーフです。ベネズエラはカリブ海に面した南米の国で、国民の半数が混血というラテンアメリカ有数の混血国です。
ラウールさんの日本語名は「真都(まいと)」で、家族からは「マイ」と呼ばれているそう。5歳上のお兄さんの名前は「真」という漢字は同じで、ラウールさんは東京で生まれたことから「都」を付けたのだとか。
お兄さんはベネズエラ生まれですが、ラウールさんは日本生まれ・日本育ちでベネズエラには行ったこともなく、公用語のスペイン語も全く話せないそうです。
ラウールのプロフィール
ラウールさんのプロフィールをまとめました。
名前 | 村上 真都 ラウール(むらかみ まいと らうーる) |
生年月日 | 2003年6月27日 |
血液型 | A型 |
出身地 | 東京 |
身長 | 192cm |
身長はSnowMan加入時の15歳のときにすでに180cmあったものの、そこから4年後の19歳には192cmにまで伸びたそう。この高身長はお父さん譲りのもので、幼稚園の頃からクラスで1番高かったのだとか。
取材などでも身長のことを聞かれることも多いそうで、本人としては「注目してもらえるからありがたい」と親に感謝していると話していました。
ラウールの幼少期
小さい時から「芸能人」になりたいと思っており、幼稚園の卒園式でも将来の夢として発表するほどだったそうですが、実は「お笑い芸人」に憧れていたのだとか。
その後、小学校1年生の時にお母さんに勧められ、自宅近くのダンス教室に兄と幼馴染の女の子と通うことに。最初はダンスよりも、レッスン後に公園で遊ぶことを楽しみに通っていたそう。
そして小学校3年生の時に、世界的ダンサーRIEHATAさんが経営するSTUDIO・SWAGでダンスを本格的に始め、ラウールさんはRIEHATAさんを「ダンスの師匠」と仰いでいます。
ラウールがジャニーズ事務所に入ったきっかけ
その後もダンスの技術を磨き続け、ラウールさんが小学校5・6年生の時、2年連続でダンスの世界大会で準優勝という快挙。将来はダンスを仕事にしたいと考えていたところ、お母さんがジャニーズ事務所に履歴書を送ったそうです。
オーディションに受かったものの、今まで自分がやってきたダンスとジャンルがあまりにも違うことや、アイドルのような衣装も嫌で泣いたのだとか。当時していたダンサーのような髪型も指摘され、泣く泣く切ることに。
そのような流れで小学校6年生の時にジャニーズ事務所に入所しました。
ジャニーズ事務所に入所後
ジャニーズ事務所に入所後は、辞めたいと思うこともありながら、ジュニアとしての活動をこなす日々だったそうです。そして中学校3年生の時に「SnowMan」の新メンバーとして加入することに。
新メンバーとして加入しただけでなくセンターまで任され、グループでは最年少という立場だったこともあり、葛藤し悩むことも多かったのだとか。それでもメンバーは支えてくれ、ラウールさんの自信にも繋がっていったようです。
パリコレモデルへの挑戦
2024年6月にはパリのモデル事務所「BANANAS MODEL」に所属。
ラウールさんはパリコレモデルへの挑戦のために日本での仕事は1ヶ月間休み、マネージャーも同行なしの単身でフランスへ渡り、オーディションなどすべての手続きを1人で行ったそう。
体重を15㎏も落として挑みましたが、ことごとく落選。40社近く応募したそうですが、受かったのは今回の事務所のみ。この世界の厳しさを思い知ったそう。
しかし、モデル業はあくまで「アイドルの一環」と話すラウールさんからは、アイドルとしての覚悟が伝わってきますね。
まとめ
今回はラウールさんがどこのハーフなのか、今までの経歴やプロフィールなどについてご紹介しました。ダンスの経歴やアイドルとしての活躍はさることながら、あの抜群のスタイルでモデルとしてもすぐに世界で通用するものだと思っていました。
しかし、モデル業界はとてもシビアな世界で、ラウールさんも挫折を味わったといいます。それでも諦めずに挑戦し続ける姿は、さすがの一言ですよね。今後の活躍も楽しみです!